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【映画】『500ページの夢の束』

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「Please stand by(そのまま待機せよ)」
「Please stand by(そのまま待機せよ)」

 自閉症のウィンディは、養護施設で暮らす女の子。
チェーン店「シナボン」で仕事をしている。
月曜日はオレンジ、火曜日はラベンダー、水曜日は青、木曜日は水玉、金曜日は黄色、土曜日は紫、日曜日は赤のセータを着る。
人の目を見ること、人の感情を読むとること、うるさい音が苦手で、時々癇癪を起こすことがある。小さな犬ピートという相棒がいて一緒に暮らしている。
ウェンディにはオードリーという姉が1人おり、彼女は最近女の子の赤ちゃんを産んだばかり。

 ウェンディは『スタートレック』が大好きで、大大大好きで、ハリウッドのパラマウント・ピクチャーズで開催される『スタートレック』脚本コンテストに応募するために427ページもの大作を書き上げた。しかし締め切りに間に合うように郵送できなかった。
彼女は諦めきれず、施設を抜け出そうと考える。自力でパラマウントのオフィスまで届けようと決意するのだ。

 ウェンディは赤のセーターを着て、スタートレックのマークを縫いつけた青いバックパックに500ページ弱の紙の束を入れる。
お腹が空いた時のためのピーナッツバターサンドも入れる。
首にはいつものように、ストラップのついたメモ帳、iPod、施設長のスコットとコミュニケーションを取るためのホイッスルを下げる。

パラマウントオフィスがあるLAまでは数百キロの距離。果たして彼女は2月15日(月)の午後5時の締め切りまでにオフィスにたどり着けるのだろうか。

相対的な長所と短所と付き合いながら生きる

この世には完璧な人間なんていなくて、みんなそれぞれの長所・短所と付き合いながら生活している。というか「いい」「悪い」は相対的なもので、その人の個性・特徴が時や場所によって長所や短所に変化しているのだと思う。

ウェンディの場合は自閉症という個性を持っていて、これは社会生活の面から見ると欠点と捉えられる特徴が多かったりする。

だけど創作という面においては、ウェンディはとても素晴らしい長所を持っている。短期間で数百ページもの脚本を書き上げる集中力、決めたことを最後までやり遂げようとする意思力、そして好きなもの(スタートレック)をずーっと好きでいられることも一つの長所であり、才能だと思う。

私は、自分は持てなかったウィンディの長所が羨ましくて、この映画を何度も見返してしまう。

私は飽きっぽいし、集中力の短さは天下一品だし、好きなものもコロコロ変わる。特に彼女の長所が物書きとして活かされているから、同じように物書きを目指している私はものすごく羨ましく思う。と同時に、彼女の姿を見ていると励まされる。

 それに彼女との共通点もある。
ウェンディは創作の脚本を書くが、その内容には彼女自身の経験が反映されている。その様子は時々、受け入れるのに苦労している出来事を『スタートレック』というフィルターを通して少しずつ受けとめようとしているようにも見える。彼女の脚本と彼女の現実はリンクしているのだ。

 私はこうやってブログという直接的な形で自分に起こったことや感情の変化を書き上げているけど、これは意識では捉えきれてない言語化できていない感情に向き合う作業だ。

 例えば今回、『500ページの夢の束』という映画の記事を書きたいと思った時に、まずなぜこの映画が好きなのかと自問した。最初に浮かんだ回答は、「映画の色使いやウェンディが持っている小物、服装が好きだから」というものだった。

 しかしよく考えると、映画の色彩やファッションが好きだけど見返さない作品もある。それらとの違いはなんだろう、なぜ、『500ページの夢の束』は私のお気に入りなんだろう、と深く考えていったら、最終的に「ウェンディが羨ましくて、彼女のようになりたいから」という答えに辿り着いた。ここにくるまで1週間くらいかかった。なんせ集中力がないもので、自問自答なんてめんどくさくて居心地の悪い作業を長時間していられない。散歩の間や、寝る前の2分くらいや、シャワーで頭を洗っている間などにちょっとずつ考えていった。小さなスプーンで土を掘るようだった。

 ウェンディと表現の方法は違うが、ものを書くという行為を通して自分自身と向き合うということは同じだ。

物書きに憧れる私は、『500ページの夢の束』のウェンディの姿に自分を重ね、私ができないことをやってのけるウィンディを羨ましく思い、そして彼女の姿に励まされ、「私ももっと努力しよう」という気持ちになる。

ダコタ・ファニングと私

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それと映画本編から逸れるのだが、主役のウェンディを演じているのがダコタ・ファニングなのも私にとって特別なのかもしれない。

 彼女が子役時代から活躍していたのは有名で、2001年の『アイアムサム(原題:I Am Sam)』が代表作に挙げられることが多い。だけど私の中では『テイクン(原題:TAKEN)』の中のダコタちゃんが最も印象に残っている。同作は2002年リリースのスピルバーグ監督SFドラマで、宇宙人と交流を持つ家族を描いたものだ。2003年くらいだったと思うのだが、当時wowowで放映されていて、私は小説版も買うほどハマっていた。学校の朝読書の時間にその文庫本を読んでいて、いつも携帯していたせいか、カバー写真の美少女が深く脳裏に焼き付いているのだ。だって見て、深い青い眼と桃色の肌のこんな美少女なのよ。

それから自分の成長と共にダコタちゃんの成長もスクリーンを通してみてきて、なんとなく親近感を持っている。『500ページの夢の束』は彼女の出演作の中で一番好きな私のお気に入りになった。

***

30歳を過ぎても、自分の短所に振り回され、自己嫌悪に陥り、自信をなくすことがまだまだある。どうしても短所にばかり意識が向いてしまう。
でもこれからの10年は、少しずつ自分の長所を伸ばして、やりたいことを実現させていきたいな。